小雨の降りしきるなか傘をさして先生がユンボで私のアパートを壊していくのを見つめていたい

ジョン・チョーに愛されすぎて殺されそうになっていますので気をつけてください

女は男から絶対に逃げられない

 例えば映画「ボヘミアン・ラプソディ」にはあらかじめ、同性愛表現が含まれますので気をつけてなんてことわり書きなどない。むしろことわり書きなどしたらそれは差別のそしりを受ける。
「ホモが苦手な人もいるのだから注意書きして!住み分けしましょう!」といったらそんな人は炎上するだろう。ところが"腐女子"の描いたファンフィクションに同じことを言ったらそれは「正論」となるし、ことわり書きをしないほうが非常識で野蛮ということになる。
 何故そのような現象が起こるかというと、男の性は尊重されるが、女の性は尊重されないからだ。たとえゲイであっても、男だから、女よりはずっとずっと尊重されている。
 完全に女だけのコミュニティー内にも、そこには、男の論理がはたらき、男社会の論理で、全員が動いている。
 マイノリティは自分や人を見るとき、マイノリティの身分でありながら、マジョリティの目で見ている。わたしたちマイノリティはマジョリティの脳を持って、マジョリティのように動く。
 男=頭よくて正しい、女=バカで間違ってるが世界の常識だから、正しくあるにはつねに男のように考えなければいけない、そうするしか生きられないからだ。

 ミーハー的な消費はいけないことだ、あるミュージシャンの顔が良いとかエピソードが萌えるなどと感じるばかりでなく音楽性で評価しましょうといった「正論」もまた、男の論理でしかない。
 それは俺たちを顔で判断するな、性的対象にするなという男のわがままがそのまま反映されている。
 この国では女どもが男様の顔の作りを爼上にあげてどうこうとジャッジすること自体が、死刑に相当する罪だから。

 男は女から逃げることができる。周囲から女を消せばいい。しかし女の場合は、たとえひとりも男がいない「女性専用の街」でも、男に支配されつづけるだろう。男から逃げることはできないだろう。この社会そのものが、そもそも、男専用の社会だから。